年々歳々花相似たり〜マーガリンの広告から

つい先日まで、すっかり抜け落ちてしまい冬景色だった我が家の庭の樹木にも、かなり緑が肉付き、いくつかの花も咲き出している。

まさに生(せい)をハツラツと謳歌する最高の時期だ。

花を見るようになると、唐詩の「年々歳々 花相似たり 歳々年々 人同じからず」というフレーズが浮かんでくる。

毎年毎年、花は同じように咲くけれど、人は変化する、という意で、盛者必衰の理(ことわり)を表している。ゆく川の流れはたえずして、というあれと同じ意味ですよね。

それで、今日送られてきた情報で、へえ〜、と思ったのが、

「昭和30年代のマーガリンの広告はこんなのだった!」(画像)

バターが絹ならマーガリンはナイロン❗️

エッ⁉️

逆じゃないの❓❓

今なら、「じゃあ絶対、バターがいいじゃん‼️」ってなります。

まあ確かにマーガリンに含まれている、化学物質の数々。。

当時の広告は、ある意味とっても正直なのか。

いやいや、もちろん。

そんな謳い文句が、宣伝の表現として成立する、そういう時代だった、ということなのでしょう。

化学的なものが当たり前ではなく、絶賛あるいは崇拝に近いほどの熱狂で受け入れられた時代。

そんな時代だった印象を、この広告から感じる。

まさに歳々年々 人同じからず。

今や時代のテーマは

自分らしさ。自然体。

あるいは

持続可能性。

高度経済成長前の、物質的豊かさの「無い」時代にそれを求めて奮闘し、現代の「ある」時代に失ってしまった人間らしさを求めて邁進する。

どちらも幸せになるために。幸せであるために。

無いものを求めるのが、人間の本質なのでしょうか。

と、ここで思考は少し飛ぶ。

性(あるいは脳)の違う男女(夫婦)が、その違い、無いものゆえに試行錯誤しながら、その違いを埋めるかのようにお互いを求め合い生きている、ひとえに幸せになりたくて。という状況とどこか似てるとは言えまいか。